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タモリさんは仕事をする中で名言を残しており、友達はいらないなど多くの名言があるため名言集としてもまとめられています。
孤独で複雑な生い立ちも経験しています。
今回はタモリさんの名言集、仕事や友達はいらないの真意、複雑で孤独な生い立ちについて見ていきたいと思います。
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タモリの名言集
タモリさんと言えば1982年から2014年まで30年以上続いたフジテレビの大人気番組だった「笑っていいとも!」が終了してしまいましたが、現在もテレビ朝日の「ミュージックステーション」の司会や、同じくテレビ朝日の「タモリ倶楽部」NHKの「ブラタモリ」などのレギュラー番組を持つ日本の芸能界でBIG3の1人と言われる司会者であり芸人です。
タモリさんはこれまで様々な場面で数多くの名言を残しています。
ここではそんなタモリさんの残した名言集の中から少し抜粋したものを紹介してみたいと思います。
タモリ名言「仕事」
タモリさんは「仕事」に関して次のような名言を残しています。
真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!
これは休日にゴルフをしているとき、一緒にしていた知人に向かって言った一言だそうです。
タモリさんは仕事より遊びの方が楽しいに決まっているのだから仕事は適当でいいが遊びは真剣に本気でやれ!という考えをもっているそうです。
そのため仕事に遅れてくる人に関しては許せるようですが、遊びに遅れてくる人に関しては許せないそうです。
なかなかトリッキーです。
タモリ名言「友達はいらない」
2つ目のキーワードは「友達はいらない」です。
これはキーワードというかそのままですね。
フジテレビで放送されていたSMAP×SMAPの人気コーナーだったビストロSMAPの最終回でゲストにはタモリさんが出演した際に言っています。
中居正広さんから友達は必要でしょ?と言われた際タモリさんは「俺、あの歌が大嫌いなんだよ、小学校に入ったら『ともだち100人できるかな』って。そんなことで人生決めんじゃないよ」と言っています。
さらに自身の友達については「どんどんどんどん減らしていってるし、切ってく」と言っていました。
要はたくさんいることより少なく良いので本当の友達がいればよいし、最悪いなくても良いという事のようです。
SNSなどで友達に自分の現状を自慢するような写真を投稿し合うような世の中でこの言葉は刺さるものがあると思います。
タモリ名言「孤独」
続いてのキーワードは「孤独」です。
タモリさんは「孤独」に関して次のような名言を残しています。
孤独で寂しいは当たり前
これは笑っていいともの放送終了後のトークをしている時に中居正広さんから「寂しいときはあるか?」という質問に対して言ったものです。
人間は基本的に寂しいものなので、寂しいという感情は当たり前のことであり寂しくないと感じるのは逆に異常ではないのか?ということです。
タモリ名言「私もあなたの作品の一つです」
最後にこれは有名な名言かもしれませんが、タモリさんは「私もあなたの作品の一つです」という名言を残しています。
これは漫画家の赤塚不二夫さんの告別式でタモリさんが弔辞を読んだ際最後に言った言葉です。
この弔辞は、生前タモリさんがお世話になった赤塚不二夫さんの告別式で読んだものですが、実際には読んだというよりは即興で考えたものではないかと思います。
タモリさんは白く長い手紙のような紙をもちながら弔辞を読んでいるように見えましたが、実際その紙には何も書かれてはおらず、即興で言葉を撰び話ていました。
これは歌舞伎の演目にある勧進帳をモチーフとしたタモリさんのボケです。
赤塚不二夫さんはタモリさんが東京で芸能活動がを始めたころ、まだ給料のない売れない芸人のタモリさんを自宅マンションに居候させ、売れるまでの間ずっと面倒を見ていました。
タモリさんもその恩を忘れることなく生きてきたようですが赤塚不二夫さんが亡くなり、その弔辞の最後を締めくくる言葉としてこの名言を残しています。
売れない時代を支えてくれて世に送り出してくれたことを赤塚不二夫さんの代表作であるおそ松くんや天才バカボンと同じように、タモリさん自身が赤塚不二夫さんの作品であると言ったようです。
タモリの生い立ちは?複雑すぎるタモリの家系・誕生について
今でも元気に活躍されているタモリさんですが、生い立ちや家系、誕生の経緯が複雑すぎることがわかりましたので紹介したいと思います。
タモリさんは福岡県で生まれています。
ちょっと驚くような家系ですので...よく読んでくださいね。
まず初めにタモリさんの祖母と祖父の話から始めます。
タモリさんの祖母と祖父の夫婦のには子供がいませんでした。
そこで養子を取る事にしたんですが、養子は両方の血縁がある人物にしようと決めたそうです。
祖母は12人兄弟の一番上だったため、一番下の弟とは親子ほどの年の差でした。
そこで祖母は12人兄弟の一番下の弟を養子として自分の息子にしました。
続いて祖父ですが祖父は妹と二人兄弟でした。
妹は結婚しますが旦那さんとは死別してしまいます。
その妹には娘がいました。
祖父は今後妹が結婚をしようとした時に子供がいると難しくなってしまうと考え妹の娘を養子にしました。
スゴイ話ですよね!
タモリさんの祖母と祖父は2人の子供をしっかり育てますが、娘と息子に結婚するように伝えたそうです。
その言いつけどおり娘と息子は結婚し子供ができました。
その子供がタモリさんだそうです。
タモリさんから見れば父と母は血のつながりのない兄弟でもあり夫婦でもあるのです。
ご理解いただけてますでしょうか?
タモリさんは大変複雑な状況で産まれたようですね。
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タモリの生い立ち〜両親の離婚、サングラスをかける理由…
ここではタモリさんが産まれた後の生い立ちを見てみましょう。
タモリさんが産まれてからすぐに祖父が戦争で亡くなってしまいます。
その後両親が離婚してしまい母は出て行ってしまったそうです。
父1人ではタモリさんを育てられないためタモリさんは祖母に育てられることになります。
この祖母は父から見ると実の姉です。
タモリさんは姉弟と一緒に暮らしていたことになります。
波乱万丈どころではありません。
タモリさんは小学校3年生のとき、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、運悪く針金の結び目が右目に突き刺さってしまい失明してしまいます。
2ヶ月学校を休んで治療しますが視力は回復しなかったそうです。
それが大人になってからサングラスをかける理由だと思います。
タモリさん自身はサングラスをかけていることに関しては「恥ずかしので」などと言う事もあるようですが、実際は片目の視力を失っているためだと思います。
タモリの複雑な生い立ちからお笑いの道へ?
タモリさんは幼少期から複雑な環境で育ちましたが、高校卒業後は1年の浪人生活をした後なんと大学は早稲田大学へ進学しています。
大学へ入学してからは元々ジャズが好きだったこともありモダン・ジャズ研究会へ入り、トランペットを演奏していたそうです。
ただトランペット奏者としてはそこまでの腕前ではなかったようで、演奏するのではなくマネージャー業務と司会を務めるようになります。
タモリさんの本名は森田一義ですがその頃についたニックネームが森田を業界用語のようにひっくり返して読んだタモリだったそうです。
タモリさんは大学2年生の時に大学へ払うはずの学費を旅行の代金にしてしまいその後学費の支払いができず大学を退学してしまいます。
その後地元である福岡へ戻り保険会社で働きます。
その会社で出会った2歳年上の女性と結婚をしたそうです。
結婚後転職をし、旅行会社で働いたり、その系列会社のボウリング場の支配人をしたりしていたタモリさんですが、1972年に日本を代表するサックス奏者の渡辺貞夫さんが福岡でコンサートをした際そのスタッフにタモリさんの大学の友人がいたため、コンサート終了後その友人の泊まっていたホテルで終電まで飲んでいたそうです。
終電の時間になったため友人に別れを告げて帰ろうとしたタモリさんでしたが、近くの部屋でかなり盛り上がっている部屋があったそうでちょうど入り口のドアが半開きになっていたのでのぞき込むと渡辺貞夫さんのバンドスタッフが歌舞伎や狂言などをふざけてやって盛り上がっていたそうです。
何を思ったのかタモリさんはその部屋のドアを開け盛り上がっている部屋へ乱入し、一緒になって歌舞伎のマネをしたそうです。
始めは何事かと驚いた部屋の人たちもタモリさんがあまりに面白いためそのまま受け入れ朝方まで盛り上がったそうです。
タモリさんは帰り際に自分の名前を「森田です。」とだけ名乗り帰りました。
その日一緒に朝まで盛り上がった人たちはタモリさんのことが忘れらず、森田という男はジャズ関係者ではないかと予想し、博多のジャズバーに森田という男はいないかと問い合わせたそうです。
ちょうどその頃タモリさんは仕事を変えたところで喫茶店のマスターになっており、再開を果たします。
その後渡辺貞夫さんのバンドメンバーの方々のするタモリさんの噂が東京でも広がり福岡にとても面白い男がいるということになり新宿にあるゴールデン街のバーで森田を東京に呼ぶ会というグループが発足しそのグループのカンパでタモリさんは1975年6月に上京を果たすことになりお笑いの道へ入ることになります。
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タモリと赤塚不二夫との出会いで長寿番組「いいとも」司会へ
タモリさんは自分を東京に呼ぶ会のメンバーから呼ばれては月に1回ペースで上京し様々な即興芸を披露します。
ある日その噂を聞きつけた漫画家の赤塚不二夫さんもその会合に参加しました。
そこで見たタモリさんの即興芸を大変気に入った赤塚不二夫さんは、自分の出演する特別番組へタモリさんを出演させることを決めます。
その番組の日までまだ日数があったそうでタモリさんは福岡に帰ろうとしましたが、あまりにタモリさんを気に入った赤塚不二夫さんはタモリさんを福岡に帰したくないと考え、自分の住んでいたマンションや車を自由に使っていいから東京に残ってくれと交渉しタモリさんを東京に残すことにしました。
ここからタモリさんは赤塚不二夫さんの家に居候することになります。
赤塚不二夫さんはタモリさんに毎月小遣いまで渡し不自由ない生活をおくらせたそうです。
そして赤塚不二夫さんの1975年8月「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」という番組で素人ながらTV出演を果たします。
するとこの番組を見た黒柳徹子さんが私の番組にも呼びたいと現在も続く「徹子の部屋」の前身番組に呼ばれて出演したそうです。
その後タモリさんはどんどん人気者になり、現在も所属する田辺エージェンシーへの所属が決まり1976年に正式に芸能界デビューをします。
そして数々の番組を経て1982年10月4日から「笑っていいとも」の司会となっていったそうです。
赤塚不二夫さんのおかげで現在のタモリさんがあることはこのことからもわかりますので、先程名言で紹介した「私もあなたの作品の一つです」というのは本当ですね。
タモリの都市伝説!超能力を持っている?!
タモリさんには様々な都市伝説があり、超能力があるのではないかと言われることがあります。
その1つが料理が得意なことです。
タモリさんは見ただけの料理を完璧作るというという特技があるそうです。
これはタモリさんが片目の視力を失ったことにより、同級生と普通に遊ぶ為に、必要だった異常な観察力からきているのかもしれませんが、見たのもを一瞬で頭に写真のように覚えることができるそうです。
この観察力があったからこそタモリさんの芸でもあるイグアナの形態模写や偽物外語語などが産まれたのではないかと思います。
そしてもう1つ凄いのがあれだけ複雑な環境の中で早稲田大学に合格したことです。
普通に考えると先程紹介したような環境で育ちますと素行が悪くなることも考えられます。
しかしタモリさんはグレることもなく有名大学へ進学できていますのでもしかすると超能力があるのかもしれませんね!
タモリのプロフィールや経歴
引用 https://www.google.co.jp
本名: 森田一義(もりた かずよし)
生年月日: 1945年8月22日生まれ
年齢: 73歳
福岡で様々な仕事をした後1975年6月に上京をした後
1975年8月「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」という番組でTV初出演
1976年に田辺エージェンシーへ所属
テレビ東京の深夜番組「空飛ぶモンティ・パイソン」で正式にデビュー
ニッポン放送の「オールナイトニッポン」のパーソナリティなどを経た後
1980年からは「お笑いスター誕生!!」の審査員を務めとんねるずなどを発掘します。
1982年10月4日から「笑っていいとも」の司会を務め31年もの長きに渡り番組を続けました。
タモリ名言集!仕事や友達はいらない、孤独観…生い立ちが複雑すぎる!まとめ
今回はタモリさんについて見てきましたが、幼少期は本当に凄い環境で育ってきたことがわかりましたし、その環境でもまれたことで身に付いたことが生きたのか大人になってからは人に愛されて現在に至っています。
もちろんタモリさんの人柄を慕う人というのは芸能界に入るときの偶然の連鎖だけでなく都市の離れた若い人たちまで続いています。
そのため31年も続いた「笑っていいとも」の最終回には明石家さんまさん、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、ナインティナインという最初で最後の共演ではないかというメンバーが1つの画面に納まりました。
現在タモリさんは73歳ですが今後もまだまだ元気に活躍してほしいと思います。
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コメント
生い立ちがすごくて、びっくりしました片方の目が見えないのがお気の毒だなぁと思いました。でも、テレビでは普通に淡々とされているので、感心しております。
生い立ちがすごくて、びっくりしました片方の目が見えないのがお気の毒だなぁと思いました。でも、テレビでは普通に淡々とされているので、感心しております。またいつも気にかけていただきありがとうございます先EIはすいませんでした
ヒロミ様
私もタモリさんにこんな壮絶な生い立ちがあったなんて初めて知ったときはびっくりしました!
テレビではそのようなことは微塵も感じさせないところがプロですよね。
また他の著名人も題材に記事を書いておりますのでよろしければまた遊びにいらしてください。
コメンした。
もりたよしかずになってる
一番大事な名前は間違えちゃ失礼ですよ
な さま
この度はご指摘いただきありがとうございます!
修正させていただきました。
タモリさんの波乱万丈な人生にびっくりですよね。
また、よろしければ当サイトへ遊びにいらしてください。
コメントありがとうございました。